大判例

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福岡高等裁判所 昭和46年(ラ)125号 決定

〔主文〕本件抗告を棄却する

〔理由〕抗告人は「原審判を取消す」との裁判を求め、その理由は要するに、原審判が抗告人(原審相手方)と相手方(原審申立人)との夫婦関係について「争いの発端はそれほど深刻なものではなく、昭和三六年以降約一〇年に及ぶ当事者の関係を思うとき、申立人に全く離婚の意思がないという現段階において、この程度の事情で果して婚姻関係を継続し難い重大な事由があるといえるか疑問といわなければならない。」と判断したのは、抗告人と相手方とが同棲生活を始めて以来別居するに至るまでの当事者双方の言動について重大な事実の誤認があるというにある。

よつて検討するに、婚姻関係を継続し難い重大な事由の存否は結局人事訴訟手続を経由して確定すべきものであつて、婚姻費用の分担を定める家事審判においては、現に法律上の婚姻関係が継続している事実を前提として、審理すれば足るものであり、当事者が別居状態にあるときは、その別居の原因が扶助を求め生活費を請求する者の側の責に帰すべき場合にのみその別居事由を婚姻費用の分担決定にあたり考慮すべきものである。これを本件についていえば、原審認定の抗告人の相手方との別居に至る経過的事実はその挙示の資料により首肯でき、右認定の事実に徴すれば別居生活の原因が双方にあるとした原審判の判断は相当であつて、これを前提とし、当事者双方の収入を検討のうえ、生活保護基準方式により、相手方の必要生活費を算出し、諸般の事情を考慮して一応一年間に限り婚姻費用分担額を定めた原審判にはこれを取消すべき何等のかしを認め得ない。

よつて本件抗告は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(彌富春吉 原政俊 境野剛)

<原審判>(長崎家裁昭四六・九・九審判)

〔主文〕 相手方は申立人に対し、昭和四六年八月から昭和四七年七月まで毎月末日限り金一万九、〇〇〇円あてを、申立人方に持参もしくは送金して支払え。

〔理由〕 (申立の要旨)<略>

(事件の経過)

本件は、当初申立人より相手方に対する昭和四六年(家イ)第二九号婚姻費用分担調停申立事件として、同年一月二五日当庁に係属したが、その直後同年二月一日相手方より昭和四六年(家イ)第三四号夫婦関係調整(離婚)調停申立事件が提起されたため、両事件を併せて調停手続が行なわれたところ、相手方は申立人に婚姻費用の分担を拒絶するとともに、離婚を強く希望し、これに同意すれば慰藉料として五〇万円を支払うと述べ、これに対し、申立人は離婚の気持は全くない、生活費として少なくとも毎月三万円あて一〇年間はもらいたい旨述べて、双方とも譲らず、結局右調停は不成立となり、本件審判手続に移行したものである。

(当裁判所の判断)

当裁判所は、<証拠略>を総合して、次のように認定、判断する。

申立人は、昭和二〇年先夫と婚姻しその間に二子を儲けていたが、右夫が酒乱のため家庭不和となり、昭和三五年一月頃から事実上別居して、長崎市○○町の○○療養所に看護婦として勤めていた。一方相手方は、昭和二九年頃先妻を結核で失い、その後自分も罹患して昭和三三年二月頃から右療養所に入院していた。このような状態で互いに知り合い急速に親しくなつて、昭和三六年六月相手方は退院と同時に申立人の当時の間借り先に入り、同棲生活を始めるに至つた。そして、申立人は昭和三八年先夫と正式に離婚し、昭和四〇年五月二五日相手方と婚姻した。

申立人は、右同棲生活に入つた後もしばらくは、前記療養所に勤務していたが、昭和三八年頃これを退職し、相手方の仕事(置物の竜や蛇踊りの竜の製作)を手伝うようになり、昭和四一年からは観光みやげ品製作販売の店として○○屋を経営することになつた。右営業は当初観光事業の好況に恵まれ、順調に進んでいるようであつたが、昭和四五年いわゆる万博の年を迎え、長崎を訪れる観光客が著しく減少しそのため右○○屋は赤字経営となり、借入れた営業資金の返済に困窮するようになつた。

そして同年一二月二七日夜、右借入金の返済に苦慮していた相手方が、その相談のため先妻の娘(連れ子)の婿にあたる矢ケ崎秀夫のもとに出掛けようとしたところ、かねて相手方が右矢ケ崎方に出入りするのを、自分を除けものにしようとしているではないかと疑い、嫌つていた申立人が、文句を言つたことから、口論となり、相手方は翌朝家をとび出して矢ケ崎方に赴き、その後数日して、申立人の話を聞いた同人の長男(先夫との間の)が右矢ケ崎方に行き、相手方を面罵したような事情も加わつて、双方の気持にかなりの溝ができ、爾来相手方はそのまま家に帰らず、申立人と別居生活して今日に及んでいる。

しかして、先ず申立人より婚姻費用分担の、次いで相手方より夫婦関係調整(離婚)の各調停が申し立てられ、その手続が進行したことは前記のとおりである。

ところで以上のような経過からみれば、申立人と相手方の婚姻関係は一応破綻しており、にわかに円満な夫婦関係への復帰を期待しえない状況にあり、しかも事ここに至るについては申立人に相当の責任があることも否定できないが、争いの発端はそれほど深刻なものではなく、昭和三六年以降約一〇年に及ぶ当事者の関係を思うとき、申立人に全く離婚の意思がないという現段階において、この程度の事情で果して婚姻関係を継続し難い重大な事由があるといえるか、疑問といわなければならない。とすれば、申立人と相手方はいまなお法律上の夫婦であり、夫婦は互いに協力して相手方を扶助し、その婚姻費用を分担してゆく義務があること勿論である。

そこで、婚姻費用分担の必要性およびその額について検討を進める。申立人は相手方が家を出て後、ひとり現住所に居住しているのであるが、別居前の昭和四五年九月一九日○○手術のため○○病院に入院しており、同年一〇月二一日退院後も、昭和四六年六月一二日までは同病院に、その後同年七月二二日までは他の病院に、引き続き通院して治療を受け、現在一応病院の手を離れたとはいうものの、まだ健康が十分に回復せず、直ちに職を求めて稼働できるような状況にはないようである。しかしてこれまでは、前記調停の進行中、相手方が暫定的に昭和四六年二月から四月までは各月三万円、同年五月から七月までは各月一万五、〇〇〇円を、申立人の生活費として交付することを約し、実行してきたので、どうにか生活を維持してきたが、相手方は同年八月以降右生活費の支出を拒否しており、生活に困窮している。

他方、相手方は前記矢ケ崎方で寝泊りを続けているが、同年二月から前記○○屋の倉庫を事業場として、現在使用人二名、内職者四名を雇つて営業を再開し、同人の述べるところによれば、一カ月平均二二万円の売上げ、原料代、工賃等の諸経費を控除して約五万円ないし五万五、〇〇〇円の収入をあげているが、銀行等に合計八七万円の負債を抱えその返済に追われて、申立人の生活費を負担するほど余裕がないというのである。

もつとも、右は相手方の一方的な言い分であるから、そのままこれを信用することは躊躇せざるをえないが、いずれにしてもかなりの債務を負担していることは事実であり、右債務の返済は相手方が事業を継続してゆくためにも必要な支出と認められるので、単に相手方の収入を基礎としてこれを双方の総合消費単位等により按分する方式は、本件では適切でなく、一応生活保護法の定める基準等によつて申立人の最低の生活需要を算出し、これに基づいて婚姻費用の分担額を定めるほかないように思われる。

そこで、昭和四六年四月一日厚生省告示第七五号の生活保護基準表により申立人について生活保護費相当額を求めると、長崎市は同表にいう2級地であり、申立人は現在四五歳の女子であるから、年齢、性別による基準額六、七七〇円、世帯構成による基準額五、二一〇円でありこれに住宅扶助額が加算されることになる。しかして、申立人は賃料月額一万五、〇〇〇円の借家に居住し、その支払に困窮するところから全部で三部屋のうち二部屋を間貸して月額合計八、〇〇〇円の部屋代を得ているが、なお残額七、〇〇〇円は申立人において現実に必要な支出であることが窺われるので、これを前記金額に合算すると、一万八、九八〇円となり、これが申立人の現在の生活需要をまかなう最低限度の費用ということになる。そして、相手方は申立人に対し昭和四六年二月から七月まで毎月三万円ないし一万五、〇〇〇円の生活費を交付していること前記のとおりであるから、相手方において右の程度の費用の負担ができないとは思えない。

そこで、当裁判所は以上のような諸事情を考慮のうえ、相手方は申立人に対し昭和四六年八月から(同年七月までは前記生活費を交付しているので)昭和四七年七月まで一カ年間、婚姻費用の分担として、毎月一万九、〇〇〇円(端数切り上げ)を各月末日限り、申立人方に持参もしくは送金して支払うべきものと定める。

なお、右一カ年に限定した趣旨は、もともと夫婦は互いに協力して生活を保持してゆくべき義務を負うものであつて、ことに本件のように別居生活の原因が双方にある場合、申立人においてもただ相手方に婚姻費用の分担を仰ぐばかりでなく、格別稼働を困難とする事情もないかぎり、自らも就職して生計を維持するよう努めることは当然であつて、現在の健康状態が回復すれば、いずれは軽作業程度には従事して申立人自身相応の収入をあげうるものと考えるので、一応右の限度で決定し、もし一年を経過してなおその必要があれば、申立人からの新たな申立をまつて処置することとしたのである。

よつて、主文のとおり審判する。

(権藤義臣)

権藤義臣

CA5_WLJP_JN007125権藤義臣

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